ドンキーコング(任天堂)1983年
ファミコンソフトの第一弾として本体と同時発売されたのが、この『ドンキーコング』です。
どんなゲーム?
ドンキーコングに捕えられた恋人のレディを、赤い帽子にオーバーオールを着た名無しのヒゲおじさんが助けに行きます。
固定画面式アクションゲームで、レディの居る場所を目指しひたすら障害を乗り越えていくゲームでした。
任天堂のアーケード作品『ドンキーコング』の移植作品でして、ファミコン版は縦画面から横画面に変更され容量の都合からステージ2が削られていましたが、移植度は高くアーケード版と変わらない面白さを提供してくれました。
全三面構成ですが、ステージをクリアすると構成がガラリと変わる別ステージへと進む事が出来るのは、当時としては画期的でした。
ドンキーコングJR.(任天堂)1983年
この『ドンキーコングJR.』も本体同時発売ソフトの一つです。
『マリオ』によって檻に囚われてしまった『ドンキーコング』を、息子のジュニアが奪還するアクションゲームです。
ツルを上り下りする操作が特徴的で、敵をかわしながら全四面のステージを進んでいきます。
前作の主人公から一転し、今作品では『マリオ』と名前が付けられ悪役を演じています。
マリオブラザーズ(任天堂)1983年
こちらもアーケード作品の移植版。
ゲームタイトルには『マリオ』の名が付けられ、弟のルイージと共に主役で登場します。
本作品もスクロールはない、固定画面アクションゲームです。
下水管から出てくるカメやカニを下から突き上げて気絶させ更に蹴りを加えて倒し、全ての敵を退治すればステージクリアとなります。
エンディングは無いので、クリアしても延々と続きます。
また、ファミコン初の二人同時プレイが可能でして、協力と足の引っ張り合いでどちらも非常に熱くなります。
テニス(任天堂)1984年
本格的なテニスゲームの代表作品です。
リアルさを追及し、斜め見下ろし型の画面からスマッシュやボレーなどのショットを打ち分け、ラリーを堪能する事が出来ます。
では、『マリオ』は一体どにこ?
実は、このゲームのプレイヤーが『マリオ』・・・
ではなく、『マリオ』は審判をしています。
ピンボール(任天堂)1984年
上下二段構造のシンプルなつくりのピンボールです。
上段はスロット、下段はカードです。
BGMは無くピンボールを弾く音のみが響きわたります。
で『マリオ』はどこに出てくるのかと言うと、特定の条件でプレイできるミニゲームでレディと一緒に現われます。
ゴルフ(任天堂)1984年
ファミコン初のゴルフゲーム。
オーソドックスなつくりで、クラブの選択や風向きを読みながら、全18ホールのアンダースコアを目指します。
『マリオ』はゴルフウェアに着替え、主人公プレイヤーとして登場します
レッキングクルー(任天堂)1985年
こちらは面クリアタイプのアクションパズル。
ビル解体業者の『マリオ』を操作して、建物の壁やハシゴをハンマーで叩き壊していくゲームですが、壊す順番を考えないと敵に挟まれたりします。
遊び応え十分の全100面構成、オリジナルステージの作成も出来ます。
スーパーマリオブラザーズ(任天堂)1985年
遂に真打見参!
ファミコンブームの立役者であり、『マリオ』の存在を世間に知らしめた怪物ソフトの登場です。
ファミコンという偉大なハードを作り出した任天堂は、また偉大なソフトメーカーでもあった。
数ある名作ソフトの中でも、誰しもが真っ先に思い浮かべるのがこの『スーパーマリオブラザーズ』でしょう。
思春期をファミコンで過ごした『ファミコン世代』にとっては、まさしくこのソフトを遊びながら大きくなったと言えます。
『スーパーマリオブラザーズ』は横スクロールアクションゲームの一つの完成形であり、それ以降のアクションゲームのお手本となったソフトです。
今となっては当たり前の動作も、当時は衝撃的でした。
例えば、Aボタンを押す長さによってジャンプの飛距離が変わったり、Bボタンで加速をつけて崖を飛び越えたり、更に勢いがつきすぎると慣性が働いて急に止まれずブレーキをかける仕草をしたり・・・
こんなソフトを生み出した任天堂はやはり素晴らしい。
ファミコン万歳!
マイクタイソン・パンチアウト!!(任天堂)1987年
ボクシングゲームにも働き者の『マリオ』はレフリーとして登場します。
13人の対戦相手を倒していくと最後に現われるのが、あのマイクタイソン。
1987年当時のタイソンはまさしく無敵で、彼を倒すことが出来るのは宇宙人ぐらいと言われていたボクサーです。
ゲームでもその無敵ぶりが再現されています。
スーパーマリオブラザーズ3(任天堂)1988年
『スーパーマリオブラザーズ』シリーズの第三作目。
今回は、魔法の杖を取り返し、クッパやコクッパによって動物に姿を変えられた王様を救うのが目的です。
本作では、グラフィックや自由度が格段に向上しており、マップシステムが採用されコースを任意に選択出来るため、プレイヤー独自の順番で砂漠や氷、水中など8つのワールドをクリアー出来ます。
更に、カエルやタヌキ、しっぽなど7種類のマリオに変身し、空中や水中を自在に動き回れるようになり、ステージ攻略の幅が拡大しています。
国内販売本数は『スーパーマリオブラザーズ』に次いで第2位の約380万本、まさしく『マリオ』の絶頂期でしょう。
ドクターマリオ(任天堂)1990年
ガラス瓶の中にいるウィルスと同じ色のカプセルを組み合わせてウィルスを消していく、当時テトリスと並んで流行していた落ち物パズルゲーム。
シンプルながら中毒性があり、まるでウィルスの如く人々の間に蔓延していきました。
ところで、本作で『マリオ』が演じているのは医者。
配管工や解体業者など、『マリオ』=「肉体労働者」のイメージが強かったのですが、知的な役回りもさらりとこなしています。
マリオオープンゴルフ(任天堂)1991年
派手なウェアに再び着替えた『マリオ』と共に、トッププロを目指します。
既定打数以内ならば次のコースへ進める、面クリアータイプのゴルフゲーム。
コース攻略には、クラブの選択から風向きや風速、グリーンまでの距離を把握する必要があります。
また、カップインなどはボールにズームアップしたりと、演出面も凝っています。
ゲーム開始時のコースは日本だけですが、ホールを制覇することでオーストラリアやイギリスなど全5コース、合計で90ホールをラウンドできます。
ヨッシーのたまご(任天堂)1991年
上から落ちてくるクリボーなど六種類のキャラクターを、下のトレイをクルクル入替ながら消していくパズルゲーム。
落下物には2種類のたまごのかけらもあり、たまごの上下で挟み込むと、ヨッシーが出現して高得点となります。
『マリオ』は下でトレイを構えて受け取る役ですが、ヨッシーの下でこき使われている感が半端じゃないです。
スーパーマリオUSA(任天堂)1992年
アメリカで発売の『SUPER MARIO BROS 2』の逆輸入版。
内容はディスクシステム発売の、『夢工場ドキドキパニック』のキャラをマリオファミリーに差し替えたものです。
開始時に選べるキャラは、平均的な能力の『マリオ』、ジャンプが得意のルイージ、空中歩行の出来るピーチ姫、力持ちのキノピオの四人。
基本は野菜を引き抜き、敵に投げつけて倒していきます。
エンディングは洒落ていて、最後のボスを倒しマムー(絨毯に乗ったカエル)に支配された夢の国を救った『マリオ』、壺の中から捕らわれていた夢の住人達が次々と飛び出してきます。
が、そのまま画面が切り替わり、ベッドで気持ち良さそうに眠る『マリオ』の姿が・・・
ヨッシーのクッキー(任天堂)1992年
今度の『マリオ』はクッキー屋さん。
ハート、フラワー、ダイヤモンドなど6種類のクッキーが上から横から出てくるので、『マリオ』が縦か横一列に揃えて消していくパズルゲーム。
各種類のクッキーゲージが貯まると、どの種類にも合わせられるヨッシーのスペシャルクッキーが出現します。
ステージは全部で10、ヨッシークッキーをどう使うかが攻略のカギとなっていて、難易度設定や対戦プレイも可能です。
名無しの下積みから悪役時代、ようやく掴んだ配管工やテニスの審判を経て、弟のルイージと共に頂点に登りつめたブラザーズ時代、晩年はゴルファー、更には医者までこなした我らが『マリオ』でしたが、最後はクッキー屋さん。
恐らくヨッシーの命令で断りきれなかったのでしょうが、ファミコン最後のお仕事はあまりにも地味でした。
しかし、『マリオ』は任天堂の顔であり永遠のアクションスターとして、皆様にいつまでも愛され続けていくことでしょう。
『マリオ』様、長い間お疲れ様!!
って、まだ引退してないか・・・
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